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上野ふれあい交流館は、自然に囲まれた多目的施設です。
町内会や子供会、また自然観察会や同好会(俳句や短歌など)、個人や団体など多方面においてご利用いただけます。万葉の里として歴史を持つ稲葉山の中にあり、また、渡り鳥が飛来する大沢池を展望できる上野ふれあい交流館。自然豊かなこの地で、心豊かな時をお過ごしください。
設計・監理 / 株式会社 白兎設計事務所
施工 / 中央建設株式会社
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万葉の時代、稲葉山には京都へ通じる石畳敷きの古道がありました。都からの国守は、この古道(官道)を通り因幡一ノ宮(宇部神社)に参拝し、政務についたと伝えられています。平成十九年三月「美しい日本の歴史的風土」準百選に稲葉山一帯が選ばれました。
斉衡二年(八五五)因幡の国守を拝命した中納言、在原行平が四年の任期満ちて都へ帰るとき、寵愛した姉妹松風村雨に詠んで与えた一首は小倉百人一首に残り、日本を代表する和歌として多くの人に親しまれています。また、松風村雨との悲恋の物語は謡曲「松風」はじめ能や文学等全国に伝承されています。
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在原行平塚 |
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昔、在原朝臣行平は、因幡の国守を拝命して任国へ下った。途中、須磨の浦で、潮汲む美しい姉妹の松風、村雨を見そめ、同行させた。そして四年間、稲葉山のふもとで楽しい生活を送ったが、任期満ちて行平は帰郷した。そのとき、寵愛した姉妹との惜別の情断ちがたく、詠んで与えたのが次の一首である。
立ち別れ 稲葉の山の峰に生ふる 松とし聞かば 今かへり来む
その後、松風、村雨の姉妹は、思い出だけを生きがいにして、岩美郡福部村のむらに人目を避けて、生涯を終えた。今、このむらの旧家村田家では、松風、村雨の後裔と称し、先祖にあたる三人の墓と言い伝え、盆には、必ず同家で供養することを忘れない。さらに、福部村蔵見むらの貞信寺では、松風、村雨の護持仏であった聖観世音菩薩をご本尊にしている。
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